『終末ツーリング』の考察ブログ、今回は【世田谷編】をお届けします。
このエピソードでは、人類が生存していた頃の生活感が色濃く残っており、じっくりと描写を読み解くと、終末の世界の物悲しさがより深く感じられます。
ヨーコたちの道順
まずはヨーコたちの現在地のおさらいです。
前回は横須賀港でロボお父さんと出会い、そこから東京の世田谷までの移動です(おおよそ60キロ)。
海面上昇の影響もあり、至るところが水没していたため、実際の道順はもっと陸側に迂回しつつ東京方面へ向かったものと思われます。
環状八号線には車がいっぱい
東京に入ったヨーコたちは、環状八号線を通って北上していきます。
その環状八号線には多くの車が残されているのが気になるところです。
ヨーコも車の間を縫うようにバイクで移動を続けています。
なぜ、車がそのまま路上に残されているのか?
クール宅急便のトラックも車両の列にそのまま残されており、「この状態」になる直前までそこには日常が広がっていたと思われます。
もし環境汚染などで外出が満足にできない状況だったなら、そもそもこれほど多くの人が車で移動するとは考えにくいです。
また、何かから避難する状況だったとしても、このように整然と(あるいは無秩序に)路上に車を停めたまま放棄するでしょうか。
戦争や何らかの攻撃があった可能性も考えられますが、だとしてもこの光景には違和感が残ります。
水没しているアクアライン
神奈川県の川崎と、千葉県の木更津を結ぶ「東京湾アクアライン」にあるパーキングエリア『海ほたる』が二人の目的地です。
しかし、神奈川側のアクアライン入口は海面上昇により水没してしまっています。
そこでヨーコたちは東京をぐるりと回って千葉県へ向かうことにします。
等々力渓谷で飲水確保
海面上昇はかなりの規模で、東京都内の地盤が低い場所も水没しています。
東京都世田谷区、野毛周辺も道路が水没している箇所があります。
ヨーコたちは等々力渓谷で飲水を確保します。
このとき、スマホに接続した機器で「pH値、放射線量」などを測定し、安全な水であることを確認しています。
世田谷の住宅地へ
世田谷の高級住宅地を探索する二人は、ドアが開いている家を調べていきます。
すでにドアが壊されていて室内が荒らされている家が多く、思ったような食料を確保することが出来ません。
ここで、家の前に有刺鉄線が張られている、ひときわ高級そうな家を見つけたヨーコ。
家のベランダや屋根には監視カメラ、あるいは武器のようにも見えるものが設置されており、かなり物騒な雰囲気です。
さらに、家の前には、四足歩行のロボットが倒れています。
カレンダーと賞味期限
厳重に守られているためか、この家の室内は他の住宅と比べると荒らされた様子はありません。
「204?年」のカレンダーが壁に貼られていることから、少なくとも2040年代まで、この家の住人が生活していたことがわかります。
また、このカレンダーには富士山の写真が載っていますが、噴火の跡はなく「我々が知っている富士山」がそこにはありました。
床下収納に手つかずで残っていた袋麺や缶詰を発見するヨーコ。
袋麺の賞味期限には「2045年3月12日」と記載されており、2045年にはこの住民は既にいなくなっていたと推測できます。
さらに、2043~2044年くらいまでの日本では、袋麺を製造できる状態であったこともわかります。
ミイラ化した死体
寝る場所を探していたヨーコが2階の寝室に行くと、住んでいた人と思われる死体が…。
鏡には銃弾の痕が5発、ミイラ化した死体の手には拳銃のようなものが見えます。
この5発の銃弾は、自分で自分を撃ったときのものなのか?
それとも、他に4人いたのか…。
ヨーコはアイリに寝室を見せないようにし、静かに手を合わせるのでした。
ヨーコは死体を見ても冷静です。
【箱根編】で機動戦闘車の中で自衛隊員?が死んでいるのを見かけても取り乱すことはありませんでしたので、ここまでの旅でかなりの死体を見てきているものと思われます。
考察ポイント
ここからは、【世田谷編】で気になったポイントを考察していきます!
住民はなぜ死んでいたのか?
あのミイラ化した死体は、状況から見て自殺と考えるのが自然でしょう。
そして、状況的にこの自殺の理由は「絶望したから」だと思われます。
しかし、ここで重要になるのが「鏡に残された5発の弾痕」です。
なぜ5発も撃つ必要があったのか?
私はこれを「家族4人と、自分1人の分」だったのではないかと考察します。
自宅を有刺鉄線などで要塞化していたのは、単に自分の身を守るためだけではなく、「守るべき家族」がそこにいたからではないでしょうか。
しかし、終わりの見えない世界や治安の悪化に絶望し、家族4人を自らの手で葬り、最後に自分も…という悲しい決断(無理心中)をしたのかもしれません。
では、なぜ彼はそこまで追い詰められてしまったのでしょうか?
そもそも自宅を要塞化したということは、この住民は最後まで生き抜く意志を持っていたはずです。
袋麺や缶詰も手つかずで残っていて、まだ生き残れる可能性は十分にあったはずです。
それにもかかわらず、そんな住民の心をへし折るほどの何かが当時の日本で起きた。
「当時の日本」で起きたことはかなりの出来事であると推測できます。
なぜなら、この死んでしまった住民を誰も回収できず、そのままミイラ化してしまっているからです。
人が死んでも警察や消防が来ない、それほど当時の日本は混乱していたということです。
「もう誰も助けに来ない」それがこの住民を絶望に追いやったのかもしれません。
いつまで住民は生きていたのか?
まず、室内にあった「204?年」のカレンダーは、少なくとも2040年代まで人々の営みがあったことを示唆しています。
さらに重要なのが、床下から発見された袋麺です。記載された賞味期限は「2045年3月12日」。
現代の慣例にならうと、袋麺の賞味期限は製造からおよそ1年です。
この前提に立てば、この袋麺は2044年3月頃に製造されたと推測できます。
このことから、以下の2点が明らかになります。
- 住民の生存時期:
この家の住民は、2044年3月以降にこの袋麺を入手しており、その時点では生存していた可能性が極めて高い。
- 社会の状況:
2044年頃においても、食品を大規模に生産し、消費者の元へ届けるだけの製造・物流インフラが機能していた。
ただし、これはあくまで「住民がいつまで生きていたか」の下限を示す情報にすぎません。
彼らがいつ亡くなったのかは不明であり、例えば2050年まで生存し、この袋麺を最後まで食べずに残した、ということも十分に考えられます。
まとめ
というわけで【世田谷編】のあらすじと簡単な考察でした!
サラッと見ていくと見逃しちゃいそうな重要なシーンがたくさんあったと思います。
2045年前後、もしくはそのあたりに決定的な何かが当時の日本で起きたものと、私は考察しています。
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